インタビュー:カサシマ工務舎 笠島守

Interview
VOL.1
笠島 守
カサシマ工務舎

インタビューVOL.1 - 職人の粋と住まう人の息遣い。〝人〟を感じられる空間づくりを

インタビュー:カサシマ工務舎 笠島守
柱をクロスで隠すことができないため、あらゆる面でごまかしが効かない「真壁」の家づくり。 建造スピードや機能を最優先にするメーカーが多いなかで、なぜカサシマ工務舎は、 あえて手間のかかる木と人による家づくりに徹してきたのでしょう。 そのこだわりと背景を、代表・笠島守に聞きました。
笠島さんの「構造を見せる家」へのこだわり、教えてください。
だって、寂しくない家にしたいんだもの。
は……はい。
そう、人がいて寂しくない空間にしたい。 例えば、コンクリートと鉄板だけの空間があるけど、 そこにいたら、自分まで工業製品な気持ちになっちゃう。 寒くはないんだけど……暮らせる? 殺伐としてない?  人格のある職人がいるからこそ出来る空間があって、そこに人を感じられるのが、寂しくない秘訣だと思うんです。
「構造が見える=寂しくない」。面白い考え方ですね。
日本家屋というのは独特な世界なんです。 丁寧に作った日本家屋は、空間そのものが家具で、 建具が入った時点で家具はいらない造りになっている。 西洋の家づくりとは違うんですね。 ヨーロッパの家は石造りなので、まず色を塗る必要がある。 その次にカーペットも要る。タンスも要る。 その次は……家を決めた後に〝足し算〟していくのが西洋家屋の暮らし。

真壁の家は、歌舞伎でいうところの「見得を切る」わけ。 梁も柱も安全性を高めるための日本家屋の大事なパーツだけど、見せるために使うものでもある。
柱や梁などの構造が目に見える「真壁」の家は、ミリ単位の正確さが要求される難しい家づくり。 ごまかしが効かないからこそ、職人にも経験とセンスが求められる。
日本家屋は、用と美を兼ね備えた空間である、と。
そう。組み上がった時点で、それが出来上がっていなければならない。 構造が見えるということは失敗できない、ということです。隠すことができないからね。 もしうまくいかなかったら、それは棟梁にとっての恥になってしまう。 だからこそ、職人は見得を切る。

道の駅に、ログハウスを採用したものが増えていますよね。 でも、2.3時間いれば十分、と思うはずだよ。 ずっとそこで暮らしていると、おそらく圧倒されてしまう。 それくらい、木ってアクが強い素材なんですよ。
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木のアクの強さをちゃんとコントロールできるのは、職人の歴史と腕なんです。 木のもつ荒っぽさをいなしながら、ある程度は活かす。 あえて現場で口に出してはいないけれど、大工さん、左官屋さんをはじめとしていろんな職人さんが、 暗黙の了解のうちに、木の力を見定めてコントロールしている。
カサシマ工務舎は「プレカット」と呼ばれるコンピュータでの採寸・カットではなく、人の目と手による作業が行われる。 わずかな木の反りをどう活かすか。これぞ、職人の腕の見せどころ。
素材を活かす人のチカラですか。
日本家屋は、人の技術が木に勝っている。 失敗できないから、大工の個性が隅々にまで〝行き渡ってしまって〟いる。 そこが寂しくない理由であって、その空間に長く居られる秘訣だと思いますね。

ヨーロッパの建築が足し算だとしたら、日本家屋は〝引き算〟の賜物。 洋風の家具を置いた時点で、空間が家具に負けてしまう。 そんな繊細さと高い完成度をもった建築です。ちゃぶ台はすごく似合うんだけどね(笑)。

“カサシマ”の背景とこれからの家づくり

笠島さんは、建築のこれからの20年をどう思われますか。
日本も北海道も、人口が減っていきますから、新築の家づくりは頭打ちになるはず。 よほどのブランドにならないと、新築で思い通りの家を建てるのは難しいでしょう。 ただ、僕は新しいものだけが優れているとは思わないんです。

ヨーロッパに行けば、古いものに価値があるというのは当然の考え方。 日本はそこまで追いついていませんが、真壁の家づくりの要素はリフォームにも取り入れていきたいな。
リフォームについてのアイデアとは。
今はフルリノベーションが多いですが、〝まるっと取り替えればいいでしょ〟 という考えはリフォームの正解ではないと思います。 建てる側の常識と暮らす側の常識を擦り合わせていく必要があるかな。

1970年代に建てられた家であれば、〝70年代〟を生かすデザインがあります。 全部の家をおしなべて流行の天井高2.4メートルに合わせる必要はない。 背の低い建具が生きるようなデザインを取り入れてみたいですね。 ひなびていたらまずいけれど、古い中にも楽しさを入れることができたら、 必ずしもフルリノベーションのリフォームでなくてもいいはずです。
ひなびた色ではなく、目指しているのは奥ゆかしい風合い。 カサシマ工務舎は建具をつくる際も自然塗料にこだわっており、年月と共に家の〝変化〟を楽しめる。
笠島さんが家づくりをやめられない理由、もしあったら教えてください。
う~ん、難しい質問だね(笑)。言葉にするなら、人との繋がりがあるから、かもしれない。
繋がりですか。
僕は小さい頃から、何かを作るのが好きな人間でした。 叔父の紹介で16歳の時に大工の棟梁の弟子になって、20歳で弟子上がり。 25.6歳の頃にはいっぱしの大工になれていたんだけども、 その頃、友達に家のリフォームを頼まれる機会があって、1ヶ月ほど仕事を休んで取り掛かってみたんです。 その時、付き合いのある業者さんがみんな僕の仕事に付き合ってくれたことも、独立の転機になった。
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苦労はありませんでしたか。
まだ完全な状態の家を建ててもいないのに「家、つくります」ってチラシを、 自分で作ってね。配って歩いたの。そしたら、なんだか2件くらい取れちゃって(笑)。 それがきっかけで、今も続けてる。仕事というのは、自分で取りに行けばなんでもあるんだね。

僕の親は余市の農家だったんだけど、50歳前後で札幌に出てきて、 リアカーを引きながら古物商のような仕事をしていたの。 親が脳梗塞で倒れてからは、僕が大工をしながら面倒を見てきたんですね。 そんな親と一緒にスーパーなんかに買い出しに行くと、勝手に宣伝してくれるんですよ。 「こいつは、大工をやってるんだ」って。 親のおかげで、2.3年後には町内に僕がつくった新築の家が増えていきました。 この家族を応援してあげよう。そんな意識があったのかもしれない。
年に一度、お客様を招待するカサシマ工務舎の「感謝祭」。代表の笠島も、その場に立つ。
イベントプログラムや出店など、感謝祭の内容は盛りだくさん。お客様の笑顔が見たい、繋がりたい、その想いと共に。
実際に木に触れ、小さな家具をつくってもらうプログラムも。
人の気持ちって、何か強いものがありますね。
人の繋がりで始めた大工の仕事が、もちろん努力もあるけど、また人の繋がりで広がっていく。 カサシマ工務舎はそうして続いてきました。従業員が、社員がついてきてくれる。 大工さんは世代交代していくけれども、最近は社員が一番大切だな、と思ってます。 朝来ても誰も来ない。そんな会社は畳むしかないからね(笑)。

ラインに乗ったような誰でもできる仕事の世界ではなくて、もがいてでも自分の得意なものを作れている。 それで幸せと思わないと、ばちが当たるんじゃないかな。 だから、健康な間は、皆が頼ってくれるのであれば、 皆が自立できるような状態を作れるように、後10年くらいは頑張りたいと思っています。

工場を大きくして、というよりは、チームの強みを活かして、 お客さんに対していかに早く情報を提供するか、提案をするかを大事にしていきたいですね。
チームの強み、ですか。
物事は試合だと思うんです。どれだけ足が速くても、試合に出なければ意味がない。 どれだけいい家をつくっても、お客さんが選んでくれなくちゃ意味がない。

試合に出るためには準備をしなければいけない。大工の基準、営業の基準。 スポーツのように基準は私たちが作っていくわけですが、社員の各々が「人に頼むための基礎知識」を持たなければならないんです。 僕一人では、何十棟もの家を短期間で建てることはできないでしょ。 ある部分は、人に任せなきゃならない。でも、投げるではなく、任せるためには、任せる側の努力や準備(基礎知識)が必要なんです。

チーム一人ひとりの持ち味は違うけど、私たちは一貫して「逃げない、裏切らない」とお客さんに伝えたい。 情報化社会、情報合戦の世界の中で、僕はコツコツとカラマツ通信で発信していきたいと思っているの。

フーテンの寅さんが映画になるのは、人を裏切らないからだよね。 人に合わせることはできないけど、一生懸命生きている。そんな人の姿に人って共感するんだと思うな(笑)。
月に一度、お客様に向けて配信する瓦版「カラマツ通信」のイラストは、実は代表・笠島の直筆。 「一生懸命」に生きる、フーテンの寅さんも描かれています。
棟上げ(骨組みが完成した段階)をお祝いするトートバック。こちらは笠島社長の誕生日に、スタッフが贈ったプレゼント。
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カサシマ工務舎の家づくりのキーワードは「人」なんですね。
人との距離って不思議なものなんですよ。 台湾に旅行に行った時のことなんだけど、あの、アニメ映画の舞台になったって言われてる観光スポットで。 あれ、なんていう場所だったっけ(笑)。
九份(キュウフン)ですね。
そうそう、観光客でごった返している人気の場所なんだけど、その真ん中におばあちゃんが出てきてね。 茶碗と箸を持って、そこでご飯を食べ出した。それって寂しいからでしょ。

人というのはどんな形であれ、人と一緒にいたいものなんだと思うんです。 「じいちゃん、飯こぼしてるよ、汚ねぇなぁ」なんて言われてても、もしかしたら本当のところではいいものなのかもしれない。 それくらい、人の距離というのはお金にできない価値がある。
なるほど。笠島さんのお考えが繋がって見えてきました。
初めて家を建てるお客さんは、そりゃあ迷いますよ。 パッと見ただけで家の違いが分かる人なんて稀です。分からないものです。 紹介してくれた人、営業マン……潜在意識の中で〝人と繋がる太さ〟を感じて選んでくれるのだと思うんです。

だから、どんなにいいものを作っても、お客さんが選んでくれなければ意味がない。 営業マン一人の対応がカサシマ工務舎の総合評価に繋がっているわけでしょ。 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、になってはよくないよね。
一人ひとりがプロフェッショナルであれ、と。
そうなんです。

3000万、4000万払ってね。ガチガチの性能重視の家を建てるのも、一つのスタイル。 だけど、家ってそれだけじゃないよね。ウチの家には棟梁が来るよ、とか。 定期的に瓦版が届くよ、とか。お祭りがあるよ、とかね。豪邸じゃなくても、小さな家であってもいいじゃない。

いい家である。これはあくまで前提なんだけど、だけど、家がいいとか悪いとかの前に、人との関係性が大事だと僕は思うの。

私たちに出会った時に、お客さんが喜んでくれるかどうか。これを一番大切にしていきたいんですよ。
Thank you for reading